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"ひげのおたまじゃくし"のイタリア行は意外にロックだった(バリではないけれど、異文化への挑戦です)

昨日群馬県前橋市で、オペラ歌手岡村喬生氏を追ったドキュメンタリー映画の上映と独唱(トークライブ付き)というイベントが行われたので、観賞してきました。
実は私の伯父がかつて社長をしていたホテルのサロンコンサートで氏は何度も歌ったり演奏家を紹介したりと、大変尽力をしてしてくださり、氏にとっても前橋は所縁の深い場所なのでした。なぜ伯父がサロンコンサートを頻繁に催していたかといえば、伯父自身がもともと音楽屋だったからで、実はこの伯父からの影響を直接的あるいは間接的な多大に浴びて私も形成されているようなのであります。なので実はこの伯父についても掘り下げたいのですが、それは取り敢えず先送りにして今は、そんわけなので客層がサロンコンサート世代の後期高齢者(平均年齢79.8歳?80超?)により99%占められていたのですよしかもほぼ満席、という説明にとどめておきます。
そんな状況がチケットをゲットした時点で予想されたので、なんとなく映画自体も加齢臭に彩られているのかなという先入観があったのですが、思いの外(失礼)よかったのでした。加齢臭皆無。
岡村氏は音楽の専門教育を受けたわけではなく、ふとしたきっかけで入ったグリークラブ(つまり在野)の出身でプロの歌手として合唱団に入ったのでした。そしてそこで夫人と知り合い結婚するのですが、やがて歌劇のソリストに抜擢されるなど認められてきた氏は、イタリア・オペラをやるのであればイタリアに留学しようと決意し、同じ芸術家である夫人は賛同するのでした。しかし当初一年を予定していた留学は、コンクールで1位をとる快挙により一年延長されたのをきっかけに、8年まで延びたのでした。この件に非常に後続として共感を覚えてドキドキしてしまったのですが、8年を機に奥さんは離れて暮らすことに耐えられなくなります。そしてどうしたかというと、自分も夫の留学先に行ってしまったのです。そこから12年!二人の留学は続いたというのですから、私は夫人にこそ痺れてしまいました。やはり、長ければいいというものでもありませんが、自分の持っていたものと違う或る文化背景に裏打ちされた音楽なりを学ぼうと思ったら、その土地の空気になじむだけのある程度の年月は必要だと思います。ある人は、何かしらが分かり始めるのは5年目以降だ、と言いましたし、私の実感では3年目にようやく何も分かっていないことを分かることができた、という感じでした。岡村氏はドイツにも滞在されているので、20年は必要な年月だったのだろうと思います。そしてきっちり成果もあったのでした。
そんな岡村氏が、現地イタリアで、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』のボンゾー約に抜擢されるのですが、坊主の役なのに髷を載せられ袴代わりのスカートをはかされ、挙句の果てに南無妙法蓮華経と逆さに書かれた鳥居を小道具として持たされた(!)というのです。この体験が氏に、日本の人にオペラをもっと身近に楽しんで欲しいという活動と並行して、日本という国をを外国の人に理解して欲しいという活動をさせていくきっかけになったのでした。それは、やがて日本人は誤解されたまま黙っている民族だと思われたくない、という叫びに発展し、名作オペラ『蝶々夫人』にも、日本と日本人を描く過程においては脚本に誤りがあると指摘し、何とかプッチーニの『蝶々夫人』の改訂版を作れないか、というアクションを起こしたのです。
そして、日本人役の11人に関して日本でオーディションし(経歴国籍等を問わないグローバルなもので、蝶々さんや女中すずき等は日本人でしたが、ボンゾーは韓国の方のようでしたし選ばれた全員が日本人というわけではなし)、日本で稽古をした後、イタリアで改訂版『蝶々夫人』byプッチーニを上演すべく歌の地に乗り込むのでありました。
予測されたことではありますが、そこで壁に阻まれます。まず改訂版は、著作権を持つプッチーニの孫娘によって頑強に拒否されます。それから劇場との(?)契約によって芸者役の女声合唱は、演技はできるが歌うことはできない、歌うのは劇場の合唱団員でなくてはならない、と現地で突然いわれます。これには舞踊指導の先生がブチ切れ。無理もないことです。それから、女中すずき役のメゾソプラノの歌い手が、声質に問題はないが、発声法とイタリア語の発音に難があるため公演全体で使うことはできない、とダメを出されてしまいます。結局3回公演の内2回はイタリア人の歌い手がすずき役を務め、日本人の歌い手は1回しか出演できなかったのでした。でも、彼女は発声と発音のトレーニングのチャンスを与えられ、1回でも舞台に立って全幕歌ったのだから、ある意味大変うらやましい体験をされたわけです。
岡村氏も壁には食い下がりに食い下がりましたが、シモネッタ・プッチーニさんを説得することは叶わず、芸者も所作をするにとどめられてしまいました。とにかく出られるメンバーは出て、歌えるメンバーは歌い、素晴らしい公演に仕上げようと切り替えます。しかし、逆にいえば、二宮咲子さんの蝶々さんこそ、世紀の大快挙といえるのではないでしょうか。
二宮さんはイタリア人のちゃんとした歌い手の中でタイトルロールをとるのに、歌・発音共に遜色ないと判断されたわけだし、その声量といったら、ピンカートンに競り勝つ(?)ほど見事なものでした。しかも、蝶々さんといったら、ソプラノ歌手の演目の中で一番難度が高いと言われる役どころなのだそうです。
あと、改訂版ができない代わりに譲らなかった演出としてはすずきが殉死するというのがあり、短剣で胸を突いて倒れたあと手をにじらせて蝶々さんの手を握るシーンが思いのほかよくて、ドキュメンタリーの一コマで見たのであってもけっこうジーンときてしまいました。写っていたのは日本人の歌い手さんの演技だったのですが、やはりイタリア人の歌い手さんが実際どうだったのかも見たかったので、そこを映していなかったのが残念でした。それと、日本人スタッフが作った舞台がやはりよかった。イタリア人が手がけると長崎の港町から富士山が望めてしまったるするのだそうですが、桜も寺もウソ臭くなくて安心して見ていられました。というか、イタリアらしい美しい野外劇場がリアルな日本風景に彩られる面白さ。意義のある上演だったのではないでしょうか。
あとそれ以外にちょっと話題にしたいのは、カンパについて。私はカンパに批判的なのですが、それは、自分でやりたいと思ったことを他人に頭割りさせるのは変だし(スポンサーをみつけるというのはまた別の問題)、賛同者に少しでもカンパをして頂けたとしたらそれがどんなに少なくても私財を投じて何とか実現させなければウソだよね、と思ってしまうからで、実際私の少ない財力でも何とかなる範囲での企画@バリでだからできたというのをカンパなしでやってみたことはあります。それが好い悪いは別として、岡村氏がカンパを募っていたので、ん?と思ったのですが、氏は後者の覚悟をされていたので、なんか安心しました。
映画の後のライブが、高齢をあまり感じさせない、というか、いやむしろ高齢ならではの含蓄のある歌でした。ヴォルガの船歌とか、八木節とかは、ロックですらありました。でも、冬の旅の中音の柔らかい歌声は、美しく流石な感じでした。途中のトークは聴くまでは要らないと思っていましたが、楽しくさっくり終わったので、全体的にバランスのいい催しで、とても満足したのでした。
でも本当に若い観客は皆無だったので、すごくもったいないな、と思いました。もしかしたら本当に若い人たちには加齢臭を十分に感じる企画かもしれませんが、それでも若い人たちにも見てほしい。一般論というよりは、多分に偏った思い入れからではありますが、再演も含めて願う気持ちでいっぱいです。
あ、もちろん昨日後期高齢者が皆楽しんでいたのは、絶対的に正しい光景。

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