So-net無料ブログ作成

今まで知らなかった好きな歌

最近トルクメニスタンの民族音楽のCDにはまっています。
キングレコードのワールド・ミュージック・ライブラリーの1つですが、曲順の若い方に笛のソロが入っていて、中ほどに擦弦楽器、後の方に撥弦楽器が入っていて、どれも好みです。これを小さい音で寝る前に聴くと非常に気持ち良く眠れます。大きい音で聴けないのは宵っ張りだからです。幽かに聴こえる、というベールに包まれた状態で聴く、という聴き方にもハマってしまいました。昼大きい音で聴いてしまうと自分が楽器を出してきてしまって(人をこういう暴挙に駆り立てる音楽って存在しますよね?)最後まで聴けないという弊害が…。何かこう、揺さぶられます。

あと、モンゴルの百年歌姫、ノロヴバンザド女史の唄声。やはりキングレコードのワールド・ミュージック・ライブラリー。これぞどこまでも聴こえる唄声ですね。大河ドラマの北条時宗のテーマ曲を歌った方なのだそうですね。私はつい最近オルティンドー唱法を知りました。モンゴルといえばホーミーと思っていましたが、ホーミーもすごいけど、オルティンドーは、、何というか、裏技を使わない分ある意味もっとすごい、と感じました。これは、生で聴いた人は、一生の財産でしょうね。もはや叶わぬ夢ですが。

ある時期から、世界中の色々なところにまだ出会っていないけれど聴いたら絶対好きなはずの歌がある、ということに気づき、そういう唄たちを探して出会ってきました。その中で、やる音楽になったのはガムラン・バリですが、でも、聴く音楽としてはまだまだ、まだまだ、好きな音楽が出てきます。という幸せ。

DSC00253.JPG
ガンサの台の飾りと共鳴筒

前橋でバリに尽力している人たち

前橋市にも国際交流協会やユネスコなどの機関があり、バリの子供たちの教育に尽力されている方々がいるのです。
明日(すでに今日?)まで、市役所の出先機関で前橋の小中学生の絵画と、バリのRaj Yamuna小・中学校の絵画及びulat-ulat(紙を細長く切って彩色したものを織って茣蓙のような模様を作ったもの)が展示されています。このulat-ulatanがすごくきれいで上手にできていました。
父から父の高校の時の同級生がバリに幼稚園を建てるプロジェクトをやっていた、という話を聞いていたのですが、このRaj Yamuna校はその延長にあり、前橋ユネスコの方々の尽力があってできた学校ということです。スカワティの職業訓練校的要素のある高校と提携しているようで、ここを卒業した子供たちはそこでスキルを身につけることができるようです。
私が子供にやってあげていることといえばものすごくピンポイントで、手を引いて道路を横断させるとか、手を引いてトイレに連れていくとか、学校帰りに見かけたのでバイクで家まで届けた、とか、後はフォローしているのかされているのか、ということくらいで、それはそれで意義深いことだけれど、こういう筋道のたった具体的な援助が実現されているのをみると頭がさがります。
いつか私も、そのような援助を実現できるといいのですが…。いや、言霊といいますから、実現したいです、と言っておくことにします。(身の程知らず)

バロンがどうしても観たいっていうから連れて行ったのにバロンが怖くて私の乳@なけなしにしがみついて泣きバロンを煽る結果となってさらにバロンに襲われて大泣きだったGDちゃんもモタタを終えました。
DSC00350.JPG

補足 ngajar

ngajarの本来の意味は拍にあっている、裏のリズムではない、表拍である、ということなので、一般的には便宜的にこの手パターンはngajarである、という言い方はプリアタン・スタイルの曲でもします。

プリアタン・スタイル

西荻のバリ舞踊の公演、なかなかよかったです。プリアタン・スタイルとは何か、と一言では言い表せないのはもちろんですが、一番の特徴は、Ngajarではない、というところでしょうか。つまり、ドンカマにぴったり合わせない1/f揺らぎみたいなものというかいうまいか、そういう隙間や隙間を埋めたりが音楽や踊りを構成しています。例えばバリスのクンダンと言ったら、バドゥンでは一番単なものとしてとらえられているようですが、プリアタンのバリスのクンダンは、一番難しいとすら言えます。拍を刻みつつラサがないとラナンとワドンが噛み合わないからです。PKK(婦人会)のグループでは構成員が多忙なので、Gilak Barisでもなかなかプリアタン・スタイルを教えられないのが現状ではないでしょうか。そんな、んーにっちにんさんんし、みたいなプリアタンの踊りをこだわってやっているような人たちの踊りは、やっぱりすごく踊りでした。って、何を言っているかわからないかもしれませんが、あまり掘り下げたくありません。また違う形で説明できる日があるかもです。とにかくやる気をもらえたのか、無性に無性に、クンダンが叩きたくなりました。

翌日上野公園に行ったら、野外ステージでジャワ舞踊のnyetel(踊りとガムランを合わせる練習)というか、リハをやっていました。私は好みはもちろんガムラン・バリですが、やはりジャワのガムランのゆったりもいいものです。テンポの緩急ではなく、緊張感を高めることで戦いのシーンも表現されていてさすがでした。さすが源流。

奉納の待ち時間が3時間くらいあって(まあ、ある意味ざらとも言えますが)、飽きてしまって勝手に楽器を練習し始めるバリス・グデの踊り手たちのほほえましき風景。パヤンガンのお寺にて。大人は寝たり食べたりチェキに興じたり。演奏者は長丁場なんです。許して。でも、踊りも準備とか大変だし、どちらが楽ということはありません。踊り手の苦労を思えば楽器も頑張ろうと思うし、お互いを知ってお互い励みにしあえれば、です。昔は戦いだった、とも聞きますが。あ、でもいがみ合うということではなく、俺はこう踊るがついて来られるか?じゃあ俺はこう叩くがお前はついてくるんだろうな、あ、逆らいやがった、ならこうだ!みたいな凌ぎ合い、ってことです。
DSC00262.JPG

『舞姫 テレプシコーラ』に思うことの続き、ほんの少し感想だけですが

この作品のすごく好きなところは、主人公の六花ちゃん、ちょっと甘ちゃんなんだけど魅力があって、その愛らしさがすごくよく描かれているところ。お母さんがお姉ちゃんに一生懸命で、六花ちゃんの良さをあまりよくわかっていないのだけど決して愛情がないわけではないところの加減が絶妙。周りの先生が六花ちゃんの良さを買って大事に育ててくれるけどスポイルするほどは甘やかさないところ。悪役もちゃんといるけれど、完全に悪にしてしまわない方向に持っていく物語のうまさ。六花ちゃんが、フォローされながらもやがては自覚して自分の足で立っていく成長物語になっているところ。
往年の問題提起型の山岸作品はわざと突き放すところに魅力があったと思うのですが、この作品は問題提起しつつ一つの解決案を打ち出していて、集大成!という感があります。そんなことより何より六花ちゃん千花ちゃんをとにかく可愛く愛しく思わせるのが、巨匠の技なんでしょうね。
バリの人は子供を本当に大事に可愛がるので、“習うより盗め”の学習法にしても日本のそれとはニュアンスが違うような気がします。
モーツァルトの言葉で、天才を作るのは優れた能力ではない、愛、愛、愛こそが天才をつくるのだ!というのがあるのだそうです。なんか、そういう言葉を思い出す作品です。
子供に芸(?)を伝えていくというのは深い問題だし、私にとっても重大なテーマなので、今日はこの辺にして、多分折に触れてまた話題に上ってくると思います。

ビバ マハーバーラタ! それから公演情報も

バリ舞踊の題材はヒンドゥー神話から取られているものが多いので、マハーバーラタも多くの作品の題材をになっています。
日本語で読めるものの一番のお勧めは、何といっても上村勝彦先生の原典訳(ちくま学芸文庫)です。淡々とした語り口ゆえに、思わず笑ってしまうシーンも沢山。ドラウパディがユディシュティラの事を“あの博打打ちが!”と罵るなど、秀逸です。

図書館でジャン=クロード・カリエールの戯曲『マハーバーラタ』(ピーター・ブルック演出)を借りることができました。これがまた、上村先生訳とはまた違った感じながら同種の可笑し味を含んでいて、読み進むのが楽しみです。上村先生が落語なら笈田・木下両先生訳は漫才、ということろでしょうか。

図書館などの公共機関を利用すると(四半世紀振りくらい)、ああ、私はここの社会の構成員なんだな、と実感します。ビザも必要ないし。お友達地元にいないのに…

15日土曜日、西荻窪の杉並区勤労福祉会館ホールで、東京のお友達が、プリアタンの演目ばかりを集めたバリ舞踊の公演を打つので観に行きます。18時開演。詳しくはこちらをご参照あれ。
http://blog.livedoor.jp/vivabebas/

出演者の一人の手作りの小道具。
明日はこの弓は出ないかもだけれど、こういうのを見ると、踊る人は偉いなぁと再認識します。
DSC00083.JPG

テレプシコーラ(全然バリじゃないと思ったら、思わぬところですごくバリでした)

図書館に山岸涼子さんの『舞姫 テレプシコーラ』があったので借りて読んだらはまってしまいました。(この作品はちょうど私がバリに住み始めるころに連載が始まったのでした。一時帰国の際に、一部と二部の間の作品を読んだりはしていました。)何しろ人気図書で、1巻から順に借りることができず、先に第一部の最終巻までを読んでから(のみならず第二部全巻も購読済み!因みに第二部1巻にはバリ舞踊体験前の首藤康之さんの対談が収録されています。)、中抜けだった7巻を遂に読んだのですが、これが主人公の六花(ゆき)ちゃんが初めてシベリウス作曲の『トゥオネラの白鳥』に出会う巻だったのでした。この曲は、後に、最愛の姉を亡くした六花ちゃんが自分の甘さを克服して、若きコレオグラファーとして開花する時に使われる、大変重要な音楽なのです。

物語の核心に触れてしまいますが。
中学1年生(7巻時)の六花ちゃんには年子の頼りになるお姉さんがいて、このお姉さんの千花ちゃんが非常に将来を有望視されたバレリーナ(の卵)だったのですが、膝を怪我してしまい、おまけに医療ミスも重なって、再起を危ぶまれる状況になるのです。逸材なので周囲はバレリーナとしての再起ばかりを切に祈り、期待を真面目に受け止めるしっかり者だけに千花ちゃんは自らの不安の吐露と別の活路を見出す道を断たれるような状況に追い込まれ、また自分の怪我の状態とそれにより派生するハンデを計り知る賢さを持った子だけに大好きなバレエで大成できないかもしれないという焦燥から絶望感に襲われ、本当に悲しいことに自ら命を絶ってしまいます。それまで六花ちゃんはこの姉の陰で、何となく甘えた感じでバレエをやっていました。でも技術は高くないものの天性のセンスを持っていて、観客が思わず引き込まれる演技とか振付や衣装デザインなどでその片鱗をのぞかせており、ダメ視する先生もいる一方で期待し応援する先生も多く、共に稽古してきた千花ちゃんもその力を高く評価し認めていたのです。そして、自分の振りつけた踊りを大好きな姉の確かな技術で踊ってもらうのが六花ちゃんの夢でした。千花ちゃんの葬儀を終えたあと、何日振りかで眠りについた六花ちゃんの夢に、トゥオネラであろう深淵が現れ、そこにバレリーナがおり、それは千花ちゃんであって、夢の中の千花ちゃんはトゥオネラの白鳥の音楽に合わせてそれはそれは美しく舞うのでした。姉の死というあまりにつらい試練が六花ちゃんを目覚めさせ、何が何でも千花ちゃんとの夢の為に白鳥の動きを特訓してトゥオネラの白鳥の振付を完成させてみせる、というガッツを初めて見せるのが、第一部の最後なのでした。

結末を知って読んでしまったら、結末を読んだ時よりも胸が一杯になり涙が出てきてしまいました。You Tubeで検索して聴きましたが、やはり涙なくしては聴くことができませんでした。

ところが!何と、あるテキストの画像が、あり得ない背景だったのです!
こちらを向いて指揮棒を振る手塚治虫風(『舞姫 テレプシコーラ』は手塚治虫文化賞を取っているんですよね)出で立ちの紳士(恐らく投稿者ご本人)の後ろの額に入った写真は、チョンドンの衣装を着けたGASビダニーちゃん!チャンドラワシの衣装をつけたGASビダニーちゃん!その他バリ舞踊の踊り子の絵!ランダかチュルルックの髪の毛!などが写りこんでいるではありませんか!何故だ?解らない。でも、要チェック!

http://www.youtube.com/watch?v=W9guXBqGlao

この作品、大人が子供を守って成長させていくことに失敗したり成功したり、バリの大人たちが子供に芸能を伝える姿を見て心にテーマとして漠然と抱いていることを、具体的に物語にして問題提起してくれていて、なんか、山岸先生!!と心で叫んでしまいました。

DSC00328.JPG

バリの小さなテレプシコーラたち。芸術祭出場のためにこの後皆でお寺に詣でてご加護のあるようお祈りを捧げました。

祭りネタbuin(再び)~鼓笛隊少女~

バリでも鼓笛隊はあって、幼稚園の卒園イベントで園児が披露したりしますが、“ウチのムスメ”は伝統舞踊担当だったので、写真はそれしかありません。だったら別にアップしなくても、という説もありますが。

DSC00102.JPG

すごいダイジェストで1/5ほどの寸法のマヌッラウォ。

日本の小学生の鼓笛隊はどれも大掛かりで迫力でしたが、一校、小さい女の子だけ10人ほどという編成の学校がありました。身体の小さい子が大きな太鼓を肩で支えて、女子バラガンジュールみたいな健気さがありました。そして、まあ少人数だから指導しやすい面もあるのでしょうが、メリハリのあるいい演奏をがんばっていました。しかも曲はスリラー。私もがんばって携帯カメラで追いましたが、反応が悪くて違う写真しか写ってくれませんでした。なので、画像は行進フルート女子。スリンは行進しながら吹いても循環呼吸なので逆に問題ありませんが、フルートとかクラリネットはどうなのでしょう?私にはキツイだろうな、と思ってしまいました。
koteki.JPG

活力をもらえたのでした。

ふるさと再発見、バリのオダラン、日本の祭り

祭りだったので、神社仏閣と人々の暮らし、という風景を求めてみました。

バリでは必ず敷地内に家寺がありますが、
DSC00329.JPG

日本にも、意外に“家寺”のあるお宅が多いことを発見しました。
こちらは地元公民館の敷地内の薬師様
yakusi.JPG

こちらは近所のお宅の赤い鳥居
torii1.JPG

そしてこちらは近所のとある企業の鳥居
torii2.JPG

祭り神輿。八幡様の神輿は地元本町二丁目自治会が担ぎます。
honni1.JPG

ホームの商店街で担ぎ始める本町二丁目
honni2.JPG

アウェーで気を吐く本二自治会
honni.JPG

喉を湿すものも一緒に回ります。
極めて重要なポジション
mule.JPG

蓋が開くと厳しかった担ぎ手の表情も一気に柔和な笑顔に。手に取られた方も缶飲料冥利に尽きることでしょう。
mule2.JPG

こちらは本拠地八幡宮にてお留守番の太鼓山車。使い込まれた打面が泣かせます。
dasitaiko1.JPG

後ろ姿
dasitaiko.JPG

頭の飾りは神輿と同じでは?
dasitaiko2.JPG

ね?
honni3.JPG

一方お神明様の神輿を担ぐのは竪町商工会。
tatumati1.JPG

何となく粋な感じがします。
tatumati2.JPG

プロ・ダラム・グデはバンジャール・カラ、アリットはバンジャール・トゥンガ、みたいな図式でしょうか。

そのほか、高崎阿波踊り神輿や、企業神輿、鳶衆の筋金入り神輿などももちろんありましたが、お神明さまは千代田町一丁目が担ぐらしいよ、という情報も飛び交う中、神社の神輿と地元商店街の繋がりをテーマに追ってみました。本町に関してはほぼ地元というのもあるけれど。

祭りの今日の屋台は、韓国チヂミとトッポッキ。焼きたてのチヂミが美味しくて、マルタバが思い起こされました。トッポッキも美味でしたが、あの辛さはやや暴力的か。というか、バリものの辛さにはパンチがないというべきか。でも美味しかった~!

地元の祭り(バリではありませんが、伝統で電燈で、まあ、心踊ります)

日本にいない割に、地元の祭りは2年連続で見ることができました。

昼のJ町では町内にしめ縄が張り巡らされ、神輿を出す前の神社で神職がマントラを唱えご町内が勢ぞろい、というシーンもあり、写真を撮れなかったのが悔やまれます。お昼はタイ料理屋さんのお弁当。

商店街では八百屋さんの前で売るフレッシュジュースが目玉商品。南国の味パパイヤも参戦していたので2杯買いました。でもバリのより濃度が低かった…。バリの濃度だと群馬県前橋市では売れないのだろうな…。いや、さっぱりジュースももちろん美味でしたよ。中身が多いのは売れ残っているのではなく、お代りを作ったばかりだから。この後売り切る自信の表れとも。頼もしいです。
10080006.JPG

焼玉tabuhって何だろう?と思ってしまいました。タブというのは演奏のこと。たぶはぶたの逆さ。
10080002.JPG

粋な神輿。横に付いたノッカーのようなものが打ち鳴らされていて私のハートも高鳴りましたが、神輿とは通常そういうものなのでしょうか?形態はまったく違うのに、プレボンの時のバデ脇にグンデルを備えたもの、通商神輿グンデルを思いだしてしまった勉強不足の私。
10080005.JPG

基地収納型
10080001.JPG

前日夜、水銀灯の交換をするトゥカン・リストリック(電器職人)。3倍に伸びた道具を使いこなす様が神輿ほど粋かと。
10070002.JPG

同じ場所の祭り当日
10080010.JPG

去年はこんな素敵な人たちも。
DSC00387.JPG

DSC00388.JPG