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名古屋デビュー

2013年11月3日(日にして祝、更にいえばマニス・クニンガン)に、名古屋での公演に参加させていただきます。
踊り7つのなかなか豪華な催しです。
場所は古民家の2階だそうで、割と頻繁に公演を行っているようです。どんな場所なのか、楽しみです。
私は前奏曲とペンデット・プリアタンの伴奏です。

こちらも参照していただければと思います。
https://www.facebook.com/events/list?bookmark_t=app#!/events/587653531272018/?ref_dashboard_filter=upcoming

行きは前日練習してそのまま夜行バス。。。4日の朝にあちらを発つ感じですが、同志に会える予定。どんな旅になるか、どきどきです。

地元祭を“最後まで”みて、バリのオダランを想う、の巻(その幾つか)

昨日今日と地元の祭りでした。収穫のお祭り。
昨日はかつての拠点だった杉並区でバリ舞踊の公演を見て、色々想いを熱くしたのですが、それだけに今日の地元祭は見ておかないとな、という気持ちも強まったのでした。

午後、鼓笛隊なんかはとっくに終わってしまったような時間、ちょっと出遅れたかな、というタイミングで歩いていると、北の方からお囃子の音が。これはもしや、隣町子供山車が帰ってきたか!と思い、慌てて国道を渡り、隣町数丁目公民館を目指しました。予想的中!間に合って、山車がバックで公民館に入っていくところが見られました。
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そうだよね、山車や神輿は、格納されるんだよね、いいところを見たな、という思いで街中へ。このある種の幸先の良さが、結局今日の祭に臨むにあたってのテーマとなったのでした。

幸い他の地域の子供山車はまだまだ稼働中でした。
どうも、プリ(城)系の山車とプラ(神社)系の山車があるような気がしました。
プラ系の代表はこちら。あたご神社を掲げています。

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プリ系はこちら。
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地元城のお膝元町お膝元丁目、藩主を戴いています。

大殿さま、メガネはお取りあそばされないのでしょうか?
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あと、ちょっと謎の武者も。
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城の東町の山車なので、藩士の方かもしれません。
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この方は太刀を振るサービスをしておいででした。あ、藩主の酒井様の方は手を振っておられました。

そんなこんなで子供山車が一段落して、買い食いなどに興じているうちに、大人神輿の時間です。

ウチの八幡様は、猿田彦命に導かれ進みます。が、神輿がその場フィーバーしているので、腰かけてお待ちになっておられます。
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そんなこんなで、さらに買い食いに興じた後、日もとっぷり暮れ、店も閉めるのでそろそろ帰ろう、という段になると、八幡神輿が、参道を目指す様子のところへ遭遇。あ、これは、帰っていくところだ!と思い、訊いてみると、もう少ししてから、という答えなので、私は家を目指すことに。ところが、神輿一行は道路を渡り始めたではありませんか。引き返して後を追うと信号に阻まれるし、直進して次の信号を渡ると、追い越してお宮で待つことになるだけど、どちらがいいのかな、と思いつつ、結局成り行きで後者に。
そういえばまだお参りしていなかったけど、今して大丈夫なのかな?とうろうろしてしまったのだけれど、人に訊こうとしたら、口を開く前に、お参りするなら神輿帰ってくる前に早くしちゃって!と言われたので、ダッシュでお参り。しかし、そのあと、高校生カップルが空気を読まずにのんびりお参りしていたけど、全く無問題な感じでだったので、うろうろして悪目立ちで失敗した!と反省したのでした。

そうこうするうち、来た来た・・・
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表参道の辻です。

提灯が鳥居を入ってきました。
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そして神輿本体。鳳凰がしめ縄に触れないよう、すごく低い姿勢でくぐって担ぎ手の方たち大変そうでした。
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因みに猿田彦の人はふらふらでした。

婦人会の方々から労いの言葉をかけられつつ境内を進みます。
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こうして神輿がホームへ戻り、祝詞を聴き格納される、という一連の儀式を、生まれて初めて目にしたのでした。世話役の方に、それであんたの身内が担いでた訳なの?と訊かれたので、いやいやそういう訳ではなくて、長年日本人をやっているのに神輿が戻るところを見たのが初めてなものでつい見学してしまいました、と話すと、ああそうそれは良かったね、と割とどうでもいい感じで言っていただけたので、世話役さんもお疲れ様でした、と言って失礼しました。

確かに、今見れたことは良かったなと思いました。小さい頃は日本の伝統行事にはほとんど関心がなかったのが、バリ島の伝統音楽に触れたことで関心を持つようになったのだから、タイミング的には今より以前はありえなかったのかもしれません。それから、引っ越したことで昔よりもそういうものが見やすくなったかもしれないというのはあります。それに加えて、どうも地元自体も、以前に私が祭を見ていた頃よりも真剣に取り組んでいるような印象があります。祭を真剣にやる、とは、すなわち地元愛だな、と思う次第。

昨日日本人によるガムランの生演奏を聴き、今日は終日お囃子を聴き、色々思うところの多い二日間でした。色々、魂の叫びも、聞こえてきました。かな。

笛を吹きながら街を練り歩くの巻、最近の活動その3

土曜日にバリ舞踊のライブで歌とスリンの演奏、日曜日に現代日本詩とバリ楽器のコラボ、そして翌日の月曜日括弧祝日括弧閉じには、街中を即興でダンスと演奏しながらゲリラ的に練り歩く企画、というのに参加させていただきました。
企画は前橋出身・在住のコンテンポラリ・ダンサー&コリオグラファーのざくろさん。アーツ前橋の内覧イベントも手掛けていらっしゃいます。演奏者にパーカッショニストお二人とバリガムランわたくし、踊り手はプロの踊り手の方5人と小学生の兄弟それと飛び入り参加の方数名。状況は、街中の数か所(10か所?位?)に設けられたオープンステージで同時多発ライブが行われている中をゲリラ的に練り歩く舞踏集団と楽団、というものでした。あくまでもゲリラ的、であって、こういうものが出ます、という許可を事前に頂いてのことですが。スタートとゴールはアーツ前橋。中島ノブユキさんのライブの前に終えよう、というスケジュール。
お話は頂いていたものの、その時には具体的な日程は定まっておらず、ではこの日にどうでしょうと頂いたのが、既に他二日の予定の入っている三連休の最終日。まじか、と思いましたが、バッティングはしていません。心配なのは警察きちゃったりとか地元商店街の人とのトラブルだけれど、それもちゃんとクリアされている。そして、何より、面白そう。これは、リポDでドーピングしてやるか、と。
打ち合わせ的な事は3回程度だけど、出られたのは2回。一応笛が吹けるのだったらメロディをやってね、というお話しでしたが、色気を出して(?)最初の打ち合わせの時に一応クンダンも持っていってみました。でもそうしたらKPCさんのジェンベと合わせることができて大興奮(!)。これは大変な収穫でした。
その時には笛で既存のバリの曲のフレーズを吹いたりして、こんな感じ、とお伝えする割合が多かったのですが、まあ、踊り手と合奏相手がいれば何かが出てくる、という感じは既にありました。
その後、当日実際何を演奏するか、全員打楽器もありではないか、と一人会議を開催したのですが、どのくらい歩くのか、演奏しなくても楽器はずっと持っていないといけないわけで、三連ちゃんの最終日でどの位のものが持てるのか、一人討論の結果スリンだけにすることに。
さて、当日もリハーサルはあり、それはそれで演奏の要を中心にとても楽しい掛け合いになったのですが、街へ出て見ると、街、人、合奏相手が先ほどとは全く違う楽譜でした。
そして大事を取ってスリン、みたいな感じのニュアンスで考えていたのに、というのも、循環呼吸なのでふつうに息して歩けばよい、という単純計算があったからなわけですが、しかしながら、歩くだけで息が切れるわたくし、というものが盲点に存在していたのでした。最初は笛を交換するタイミングをちょっと早めたり、リズムセクションに任せる時間を設けたりしましたが、踊りが、ほらほらもたもたしているとコラボできないよ~、という感じで軽やかにどんどん進行していくので、吹くべきものがずるずるずるずる出てきて、休んでいると面白くないから、呼吸を深くしてみました。そうしてみると、何だかこのごろ呼吸が浅くなっていたのかもしれない、と思いました。とにかく、途切れないのがバリの笛、もぐもぐ吹くのがバリの笛。確実な鼻呼吸がバリの笛。前橋の街の空気を、肺に、頬にたっぷり吸い込み溜め込んで、アゲめで歩きました。とにもかくにも、踊り手とリズムに引き出されたフレーズが、私の息に押されて笛から出ていきました。
特筆すべきは、衣装。ドレリハを当日したのですが、いくつか持っていったやる気度の濃淡色々なバジュ、カマン、アンテンの中から、小学生のヴァリオ君(仮名)がこれとこれとこれを組み合わせて良し、と完ぺきにコーディネイトしてくれたのでした。結果、タガスのPKKのバジュ・クニンとバジャンバジャン・スダマニのカマン・カイン・プラダにまずおがくれたスレンダン・ストラになりました。わかる奴だけ分かればいい。といいたいところですが、それだと伝わらないので。シンプルな透けない生地の黄色い長めのクバヤ(ブラウス)@タガス集落の婦人会の揃いの制服の上着だけ、と、紺の厚めの生地にプラダ(金の絵の具)で花の絵付けをしてある腰布@スダマニという超絶ガムラングループの女子部の制服のスカート部分だけ、と、淡い茶系の模様が入った絹のロング・スカーフ@バリに嫁いだ友達が自分の店で扱っていた商品の中からプレゼントしてくれた、を帯にしました。お母さんも証言済みなだけあって、確かなコーディネイトでした。
そんなこんなで、バラガンジュールとは趣の全く異なる街中演奏を楽しく終え、翌々日位にダメージがくるかな、と思っていたら、翌々日は大丈夫でした。ダメージが来たのは別のタイミング。ああ、私の細胞はちゃんとここまでを区切りと捉えていたのね、というタイミングでした。つづく。

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こんなバジュ。

渋谷でのバリ舞踊のライブに参加しました。最近の活動その2、

帰国以来、プリアタンのペンデットだけは、古くからの友人にお願いして薄~い生音で2度ほど踊ってもらえたのでした。そしてこのほど、3度目のお話をもらえたのでした。
くぽんぽんのあすなろライブ参加が決まっている日曜日の前日。
何度か一人で歌っているプトゥリ・チュニン・アユを今回は歌ってもらえることに。それでスリンを載せることができました。あと、一緒に歌えて、ハモってもらえました。そして、その他に、ゴパラのプガワでカセットにスリンを載せるのと、ヌラヤンのゲロンを仰せつかりました。プナブってそうだよ“市中引き回しの上打ち首無でランスン獄門”という状態だったよ、うんうんそうだった、ということをしみじみ噛みしめながら、長めに人前に首を晒していました。それはともかく、ペンデットとゴパラは関わり方の性質上どうしてもジェゴグのタイミングを外せないのだけれど、プトゥリ・チュニン・アユは結構本来のスリンのタイミングで後取りにできてよかったのでした。
それにしても、踊りは楽譜だなぁ、ということもしみじみ。音が薄いので、一人でライブをやる時は、どれだけ聴いてくださる方々に幻聴を提供することができるかだと思ってやっていますが、踊り手がいると、既に幻聴を共有できているわけで、その上で視覚的に幻聴を提供してくれるのがありがたく、非常に心強強いのでありました。とは言っても踊りを見てすぐその踊りを演奏できはしないのですが…。でもその分、一緒に作り上げていくことができたのかな。
 その後、バリ芸能を始めた時からの友人達が久々に集い、親密で居心地のよい時間を共有できました。ああ、これが私のホームだなぁ、と噛みしめたのでした。そして、翌日のくぽんぽんは新井さんの詩が楽譜であり、更に翌々日の催しに続くのでありました。

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