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地元祭を“最後まで”みて、バリのオダランを想う、の巻(その幾つか)

昨日今日と地元の祭りでした。収穫のお祭り。
昨日はかつての拠点だった杉並区でバリ舞踊の公演を見て、色々想いを熱くしたのですが、それだけに今日の地元祭は見ておかないとな、という気持ちも強まったのでした。

午後、鼓笛隊なんかはとっくに終わってしまったような時間、ちょっと出遅れたかな、というタイミングで歩いていると、北の方からお囃子の音が。これはもしや、隣町子供山車が帰ってきたか!と思い、慌てて国道を渡り、隣町数丁目公民館を目指しました。予想的中!間に合って、山車がバックで公民館に入っていくところが見られました。
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そうだよね、山車や神輿は、格納されるんだよね、いいところを見たな、という思いで街中へ。このある種の幸先の良さが、結局今日の祭に臨むにあたってのテーマとなったのでした。

幸い他の地域の子供山車はまだまだ稼働中でした。
どうも、プリ(城)系の山車とプラ(神社)系の山車があるような気がしました。
プラ系の代表はこちら。あたご神社を掲げています。

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プリ系はこちら。
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地元城のお膝元町お膝元丁目、藩主を戴いています。

大殿さま、メガネはお取りあそばされないのでしょうか?
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あと、ちょっと謎の武者も。
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城の東町の山車なので、藩士の方かもしれません。
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この方は太刀を振るサービスをしておいででした。あ、藩主の酒井様の方は手を振っておられました。

そんなこんなで子供山車が一段落して、買い食いなどに興じているうちに、大人神輿の時間です。

ウチの八幡様は、猿田彦命に導かれ進みます。が、神輿がその場フィーバーしているので、腰かけてお待ちになっておられます。
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そんなこんなで、さらに買い食いに興じた後、日もとっぷり暮れ、店も閉めるのでそろそろ帰ろう、という段になると、八幡神輿が、参道を目指す様子のところへ遭遇。あ、これは、帰っていくところだ!と思い、訊いてみると、もう少ししてから、という答えなので、私は家を目指すことに。ところが、神輿一行は道路を渡り始めたではありませんか。引き返して後を追うと信号に阻まれるし、直進して次の信号を渡ると、追い越してお宮で待つことになるだけど、どちらがいいのかな、と思いつつ、結局成り行きで後者に。
そういえばまだお参りしていなかったけど、今して大丈夫なのかな?とうろうろしてしまったのだけれど、人に訊こうとしたら、口を開く前に、お参りするなら神輿帰ってくる前に早くしちゃって!と言われたので、ダッシュでお参り。しかし、そのあと、高校生カップルが空気を読まずにのんびりお参りしていたけど、全く無問題な感じでだったので、うろうろして悪目立ちで失敗した!と反省したのでした。

そうこうするうち、来た来た・・・
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表参道の辻です。

提灯が鳥居を入ってきました。
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そして神輿本体。鳳凰がしめ縄に触れないよう、すごく低い姿勢でくぐって担ぎ手の方たち大変そうでした。
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因みに猿田彦の人はふらふらでした。

婦人会の方々から労いの言葉をかけられつつ境内を進みます。
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こうして神輿がホームへ戻り、祝詞を聴き格納される、という一連の儀式を、生まれて初めて目にしたのでした。世話役の方に、それであんたの身内が担いでた訳なの?と訊かれたので、いやいやそういう訳ではなくて、長年日本人をやっているのに神輿が戻るところを見たのが初めてなものでつい見学してしまいました、と話すと、ああそうそれは良かったね、と割とどうでもいい感じで言っていただけたので、世話役さんもお疲れ様でした、と言って失礼しました。

確かに、今見れたことは良かったなと思いました。小さい頃は日本の伝統行事にはほとんど関心がなかったのが、バリ島の伝統音楽に触れたことで関心を持つようになったのだから、タイミング的には今より以前はありえなかったのかもしれません。それから、引っ越したことで昔よりもそういうものが見やすくなったかもしれないというのはあります。それに加えて、どうも地元自体も、以前に私が祭を見ていた頃よりも真剣に取り組んでいるような印象があります。祭を真剣にやる、とは、すなわち地元愛だな、と思う次第。

昨日日本人によるガムランの生演奏を聴き、今日は終日お囃子を聴き、色々思うところの多い二日間でした。色々、魂の叫びも、聞こえてきました。かな。

笛を吹きながら街を練り歩くの巻、最近の活動その3

土曜日にバリ舞踊のライブで歌とスリンの演奏、日曜日に現代日本詩とバリ楽器のコラボ、そして翌日の月曜日括弧祝日括弧閉じには、街中を即興でダンスと演奏しながらゲリラ的に練り歩く企画、というのに参加させていただきました。
企画は前橋出身・在住のコンテンポラリ・ダンサー&コリオグラファーのざくろさん。アーツ前橋の内覧イベントも手掛けていらっしゃいます。演奏者にパーカッショニストお二人とバリガムランわたくし、踊り手はプロの踊り手の方5人と小学生の兄弟それと飛び入り参加の方数名。状況は、街中の数か所(10か所?位?)に設けられたオープンステージで同時多発ライブが行われている中をゲリラ的に練り歩く舞踏集団と楽団、というものでした。あくまでもゲリラ的、であって、こういうものが出ます、という許可を事前に頂いてのことですが。スタートとゴールはアーツ前橋。中島ノブユキさんのライブの前に終えよう、というスケジュール。
お話は頂いていたものの、その時には具体的な日程は定まっておらず、ではこの日にどうでしょうと頂いたのが、既に他二日の予定の入っている三連休の最終日。まじか、と思いましたが、バッティングはしていません。心配なのは警察きちゃったりとか地元商店街の人とのトラブルだけれど、それもちゃんとクリアされている。そして、何より、面白そう。これは、リポDでドーピングしてやるか、と。
打ち合わせ的な事は3回程度だけど、出られたのは2回。一応笛が吹けるのだったらメロディをやってね、というお話しでしたが、色気を出して(?)最初の打ち合わせの時に一応クンダンも持っていってみました。でもそうしたらKPCさんのジェンベと合わせることができて大興奮(!)。これは大変な収穫でした。
その時には笛で既存のバリの曲のフレーズを吹いたりして、こんな感じ、とお伝えする割合が多かったのですが、まあ、踊り手と合奏相手がいれば何かが出てくる、という感じは既にありました。
その後、当日実際何を演奏するか、全員打楽器もありではないか、と一人会議を開催したのですが、どのくらい歩くのか、演奏しなくても楽器はずっと持っていないといけないわけで、三連ちゃんの最終日でどの位のものが持てるのか、一人討論の結果スリンだけにすることに。
さて、当日もリハーサルはあり、それはそれで演奏の要を中心にとても楽しい掛け合いになったのですが、街へ出て見ると、街、人、合奏相手が先ほどとは全く違う楽譜でした。
そして大事を取ってスリン、みたいな感じのニュアンスで考えていたのに、というのも、循環呼吸なのでふつうに息して歩けばよい、という単純計算があったからなわけですが、しかしながら、歩くだけで息が切れるわたくし、というものが盲点に存在していたのでした。最初は笛を交換するタイミングをちょっと早めたり、リズムセクションに任せる時間を設けたりしましたが、踊りが、ほらほらもたもたしているとコラボできないよ~、という感じで軽やかにどんどん進行していくので、吹くべきものがずるずるずるずる出てきて、休んでいると面白くないから、呼吸を深くしてみました。そうしてみると、何だかこのごろ呼吸が浅くなっていたのかもしれない、と思いました。とにかく、途切れないのがバリの笛、もぐもぐ吹くのがバリの笛。確実な鼻呼吸がバリの笛。前橋の街の空気を、肺に、頬にたっぷり吸い込み溜め込んで、アゲめで歩きました。とにもかくにも、踊り手とリズムに引き出されたフレーズが、私の息に押されて笛から出ていきました。
特筆すべきは、衣装。ドレリハを当日したのですが、いくつか持っていったやる気度の濃淡色々なバジュ、カマン、アンテンの中から、小学生のヴァリオ君(仮名)がこれとこれとこれを組み合わせて良し、と完ぺきにコーディネイトしてくれたのでした。結果、タガスのPKKのバジュ・クニンとバジャンバジャン・スダマニのカマン・カイン・プラダにまずおがくれたスレンダン・ストラになりました。わかる奴だけ分かればいい。といいたいところですが、それだと伝わらないので。シンプルな透けない生地の黄色い長めのクバヤ(ブラウス)@タガス集落の婦人会の揃いの制服の上着だけ、と、紺の厚めの生地にプラダ(金の絵の具)で花の絵付けをしてある腰布@スダマニという超絶ガムラングループの女子部の制服のスカート部分だけ、と、淡い茶系の模様が入った絹のロング・スカーフ@バリに嫁いだ友達が自分の店で扱っていた商品の中からプレゼントしてくれた、を帯にしました。お母さんも証言済みなだけあって、確かなコーディネイトでした。
そんなこんなで、バラガンジュールとは趣の全く異なる街中演奏を楽しく終え、翌々日位にダメージがくるかな、と思っていたら、翌々日は大丈夫でした。ダメージが来たのは別のタイミング。ああ、私の細胞はちゃんとここまでを区切りと捉えていたのね、というタイミングでした。つづく。

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こんなバジュ。

渋谷でのバリ舞踊のライブに参加しました。最近の活動その2、

帰国以来、プリアタンのペンデットだけは、古くからの友人にお願いして薄~い生音で2度ほど踊ってもらえたのでした。そしてこのほど、3度目のお話をもらえたのでした。
くぽんぽんのあすなろライブ参加が決まっている日曜日の前日。
何度か一人で歌っているプトゥリ・チュニン・アユを今回は歌ってもらえることに。それでスリンを載せることができました。あと、一緒に歌えて、ハモってもらえました。そして、その他に、ゴパラのプガワでカセットにスリンを載せるのと、ヌラヤンのゲロンを仰せつかりました。プナブってそうだよ“市中引き回しの上打ち首無でランスン獄門”という状態だったよ、うんうんそうだった、ということをしみじみ噛みしめながら、長めに人前に首を晒していました。それはともかく、ペンデットとゴパラは関わり方の性質上どうしてもジェゴグのタイミングを外せないのだけれど、プトゥリ・チュニン・アユは結構本来のスリンのタイミングで後取りにできてよかったのでした。
それにしても、踊りは楽譜だなぁ、ということもしみじみ。音が薄いので、一人でライブをやる時は、どれだけ聴いてくださる方々に幻聴を提供することができるかだと思ってやっていますが、踊り手がいると、既に幻聴を共有できているわけで、その上で視覚的に幻聴を提供してくれるのがありがたく、非常に心強強いのでありました。とは言っても踊りを見てすぐその踊りを演奏できはしないのですが…。でもその分、一緒に作り上げていくことができたのかな。
 その後、バリ芸能を始めた時からの友人達が久々に集い、親密で居心地のよい時間を共有できました。ああ、これが私のホームだなぁ、と噛みしめたのでした。そして、翌日のくぽんぽんは新井さんの詩が楽譜であり、更に翌々日の催しに続くのでありました。

超久々の更新、最近の活動その1

去年の夏、ウブドに里帰り、遂にプリアタンに帰省(ではないのだけれど)することができました。荷物の片付けをしたり、日本での新しい仕事が見つかったりで、その後日本に拠点を移すことになり、ブログのタイトルが痛いなぁ、という思もあり、書きたいことは多々あるものの、それを文章にする力が追いつかずの日々でした。
“バリでの出来事”はまた追い追いアップすることにして、プリアタン音楽にこだわって続けるには違いないので、その周辺の事をぼちぼち伝えていければいいのかな、と秋の日にタイトルままでブログ再開してみようかな、と思いました。
 このところ、くぽんぽんというユニットを組んで、詩人の新井さんと活動しています。現代日本詩にバリ楽器で音をのせていくのって、どんな感じがいいのかな、効果音的に入れていくのがいいのかな、と思ったのですが、新井さんに朗読をしてもらうと、音の情報として物凄い刺激的で、勝手に楽器が鳴ってくれました。何より、クンダン(太鼓)を叩けているのが、とてもありがたいです。そんなで、色々なテイストがありものの、総合的な印象として、詩のバックなのに大分バカスカ鳴っているという感想も頂きつつ、この5月の結成以来、4度ほどライブをやらせていただきました。当面は攻めの姿勢で行く感じかな。そんなで、ユニット・くぽんぽん、よろしくお願いします。
画像は第18回高崎ストリートライヴの一環として高崎のCaféあすなろで9月22日に行われた、「ことばのパフォーマンス」に参加させて頂いた時のもの。Caféあすなろの公式facebookページ翌週のライブ告知の宣材として使われたⓒCaféあすなろ画像です。
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"ひげのおたまじゃくし"のイタリア行は意外にロックだった(バリではないけれど、異文化への挑戦です)

昨日群馬県前橋市で、オペラ歌手岡村喬生氏を追ったドキュメンタリー映画の上映と独唱(トークライブ付き)というイベントが行われたので、観賞してきました。
実は私の伯父がかつて社長をしていたホテルのサロンコンサートで氏は何度も歌ったり演奏家を紹介したりと、大変尽力をしてしてくださり、氏にとっても前橋は所縁の深い場所なのでした。なぜ伯父がサロンコンサートを頻繁に催していたかといえば、伯父自身がもともと音楽屋だったからで、実はこの伯父からの影響を直接的あるいは間接的な多大に浴びて私も形成されているようなのであります。なので実はこの伯父についても掘り下げたいのですが、それは取り敢えず先送りにして今は、そんわけなので客層がサロンコンサート世代の後期高齢者(平均年齢79.8歳?80超?)により99%占められていたのですよしかもほぼ満席、という説明にとどめておきます。
そんな状況がチケットをゲットした時点で予想されたので、なんとなく映画自体も加齢臭に彩られているのかなという先入観があったのですが、思いの外(失礼)よかったのでした。加齢臭皆無。
岡村氏は音楽の専門教育を受けたわけではなく、ふとしたきっかけで入ったグリークラブ(つまり在野)の出身でプロの歌手として合唱団に入ったのでした。そしてそこで夫人と知り合い結婚するのですが、やがて歌劇のソリストに抜擢されるなど認められてきた氏は、イタリア・オペラをやるのであればイタリアに留学しようと決意し、同じ芸術家である夫人は賛同するのでした。しかし当初一年を予定していた留学は、コンクールで1位をとる快挙により一年延長されたのをきっかけに、8年まで延びたのでした。この件に非常に後続として共感を覚えてドキドキしてしまったのですが、8年を機に奥さんは離れて暮らすことに耐えられなくなります。そしてどうしたかというと、自分も夫の留学先に行ってしまったのです。そこから12年!二人の留学は続いたというのですから、私は夫人にこそ痺れてしまいました。やはり、長ければいいというものでもありませんが、自分の持っていたものと違う或る文化背景に裏打ちされた音楽なりを学ぼうと思ったら、その土地の空気になじむだけのある程度の年月は必要だと思います。ある人は、何かしらが分かり始めるのは5年目以降だ、と言いましたし、私の実感では3年目にようやく何も分かっていないことを分かることができた、という感じでした。岡村氏はドイツにも滞在されているので、20年は必要な年月だったのだろうと思います。そしてきっちり成果もあったのでした。
そんな岡村氏が、現地イタリアで、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』のボンゾー約に抜擢されるのですが、坊主の役なのに髷を載せられ袴代わりのスカートをはかされ、挙句の果てに南無妙法蓮華経と逆さに書かれた鳥居を小道具として持たされた(!)というのです。この体験が氏に、日本の人にオペラをもっと身近に楽しんで欲しいという活動と並行して、日本という国をを外国の人に理解して欲しいという活動をさせていくきっかけになったのでした。それは、やがて日本人は誤解されたまま黙っている民族だと思われたくない、という叫びに発展し、名作オペラ『蝶々夫人』にも、日本と日本人を描く過程においては脚本に誤りがあると指摘し、何とかプッチーニの『蝶々夫人』の改訂版を作れないか、というアクションを起こしたのです。
そして、日本人役の11人に関して日本でオーディションし(経歴国籍等を問わないグローバルなもので、蝶々さんや女中すずき等は日本人でしたが、ボンゾーは韓国の方のようでしたし選ばれた全員が日本人というわけではなし)、日本で稽古をした後、イタリアで改訂版『蝶々夫人』byプッチーニを上演すべく歌の地に乗り込むのでありました。
予測されたことではありますが、そこで壁に阻まれます。まず改訂版は、著作権を持つプッチーニの孫娘によって頑強に拒否されます。それから劇場との(?)契約によって芸者役の女声合唱は、演技はできるが歌うことはできない、歌うのは劇場の合唱団員でなくてはならない、と現地で突然いわれます。これには舞踊指導の先生がブチ切れ。無理もないことです。それから、女中すずき役のメゾソプラノの歌い手が、声質に問題はないが、発声法とイタリア語の発音に難があるため公演全体で使うことはできない、とダメを出されてしまいます。結局3回公演の内2回はイタリア人の歌い手がすずき役を務め、日本人の歌い手は1回しか出演できなかったのでした。でも、彼女は発声と発音のトレーニングのチャンスを与えられ、1回でも舞台に立って全幕歌ったのだから、ある意味大変うらやましい体験をされたわけです。
岡村氏も壁には食い下がりに食い下がりましたが、シモネッタ・プッチーニさんを説得することは叶わず、芸者も所作をするにとどめられてしまいました。とにかく出られるメンバーは出て、歌えるメンバーは歌い、素晴らしい公演に仕上げようと切り替えます。しかし、逆にいえば、二宮咲子さんの蝶々さんこそ、世紀の大快挙といえるのではないでしょうか。
二宮さんはイタリア人のちゃんとした歌い手の中でタイトルロールをとるのに、歌・発音共に遜色ないと判断されたわけだし、その声量といったら、ピンカートンに競り勝つ(?)ほど見事なものでした。しかも、蝶々さんといったら、ソプラノ歌手の演目の中で一番難度が高いと言われる役どころなのだそうです。
あと、改訂版ができない代わりに譲らなかった演出としてはすずきが殉死するというのがあり、短剣で胸を突いて倒れたあと手をにじらせて蝶々さんの手を握るシーンが思いのほかよくて、ドキュメンタリーの一コマで見たのであってもけっこうジーンときてしまいました。写っていたのは日本人の歌い手さんの演技だったのですが、やはりイタリア人の歌い手さんが実際どうだったのかも見たかったので、そこを映していなかったのが残念でした。それと、日本人スタッフが作った舞台がやはりよかった。イタリア人が手がけると長崎の港町から富士山が望めてしまったるするのだそうですが、桜も寺もウソ臭くなくて安心して見ていられました。というか、イタリアらしい美しい野外劇場がリアルな日本風景に彩られる面白さ。意義のある上演だったのではないでしょうか。
あとそれ以外にちょっと話題にしたいのは、カンパについて。私はカンパに批判的なのですが、それは、自分でやりたいと思ったことを他人に頭割りさせるのは変だし(スポンサーをみつけるというのはまた別の問題)、賛同者に少しでもカンパをして頂けたとしたらそれがどんなに少なくても私財を投じて何とか実現させなければウソだよね、と思ってしまうからで、実際私の少ない財力でも何とかなる範囲での企画@バリでだからできたというのをカンパなしでやってみたことはあります。それが好い悪いは別として、岡村氏がカンパを募っていたので、ん?と思ったのですが、氏は後者の覚悟をされていたので、なんか安心しました。
映画の後のライブが、高齢をあまり感じさせない、というか、いやむしろ高齢ならではの含蓄のある歌でした。ヴォルガの船歌とか、八木節とかは、ロックですらありました。でも、冬の旅の中音の柔らかい歌声は、美しく流石な感じでした。途中のトークは聴くまでは要らないと思っていましたが、楽しくさっくり終わったので、全体的にバランスのいい催しで、とても満足したのでした。
でも本当に若い観客は皆無だったので、すごくもったいないな、と思いました。もしかしたら本当に若い人たちには加齢臭を十分に感じる企画かもしれませんが、それでも若い人たちにも見てほしい。一般論というよりは、多分に偏った思い入れからではありますが、再演も含めて願う気持ちでいっぱいです。
あ、もちろん昨日後期高齢者が皆楽しんでいたのは、絶対的に正しい光景。

代沢まつりバリ舞踊公演

色々な都合で、急遽路上パフォーマンスもやることになったのでした。そして、幕開けにスリンのインストをしばし。ありがたいことに、足を止めてくださる方、少し先から音を頼りにいらしてくれた方がいらしたらしいとのことでした。会場のロケーションが通りから少し奥まったところなので、効果的だったようです。笛は遠くまで聴こえるので。といか、私のスンジャタ・サクティ(スンジャタは武器、サクティは魔力とか、まあ超能力みたいなものでしょうか。とっておきの秘密兵器みたいな感じです)を使ってますから、よく響くのです。
バリ舞踊って、やっぱり踊り手と音楽が呼吸を合わせて進んでいくものなので、今後徐々に楽器とレパートリーを増やして行けたらな、と、踊り手さんたちをみて思いました。とはいえ、ものには順番というものがあるのですが。

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ピンボケですが、真中がスンジャタ・サクティ。

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背景の飾りに使ったこのアイテム、ボコラン(花を盛る器)として作られたもののようですが、タミアン(楯)と見做して飾りました。チャクラ(円盤)にも見えますが、チャクラはウィスヌ神のスンジャタ・サクティ。

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互いに着付けを手伝い合う様子も麗しい、ウチの踊り手。これが一番のスンジャタ・サクティだったかも…?

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この踊りの前に演奏の相方になってくれたまとめ役。総責任者、司会、準備、その他諸々、サクティでこなしていました(笑)。
つつじがブーゲンビリアを彷彿とさせるいい会場でした。

下北沢でバリ舞踊の公演

代沢地区会館の大広間にて、14時から本公演です。
私はプリアタンのペンデット(歓迎の踊り)の笛を吹きます。笛だけで伴奏は無理なので、せめてクンプリ(ドンカマ)に木魚が入り、二人楽団です。木魚奏者は踊りも踊るので、ビジュアル的に派手な感じです。音は薄いけど。でも、薄くても生音、を提唱していきたいと思っています。そんなしょぼい楽団でも、踊り手の人がグルーブを刻んでくれるのでステージに立てるというもの。キーワードは幻聴の共有。

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実際に使うスリンと木魚、そしてお囃子のチンチキと、フィリピンの竹楽器。バリのグンタンとほぼ同じ構造。でも少しの構造の違いで響きが全くといっていいほど違うので、とても面白いです。私が所有しているのはスリンと木魚だけ。

東洋文庫のラーマーヤナ

図書館へ行ってみてびっくり。新刊のコーナーに新訳ラーマーヤナⅠが普通の顔して並んでいるので、ウソつけ、と思って手に取ってみたら、確かにきれいな上に、奥付が2012年4月10日初版第一刷発行となっているのでびっくり。定価によっては所有が可能!と興奮して、思わず借りてしまいました。

その前の時に、インド神話を借りたら子供向けで、主に出生の秘密について原典が子供向けに捻じ曲げられており、それじゃ違う話じゃん、という感じになっていてとてもがっかりでした。しかも1980年代の出版物。マハーバーラタでドラウパディがどうしてドゥフシャサナをあそこまで憎むのかは原典訳を読まなければわからなかったし、18禁にしてしまえ!子供にインド神話を読ませる必要があるのか!と思ったけれど、でも、やっぱり、あるのだろうなぁ…。

買い出しに行ったのだ。

思い立って、群馬県太田市の巨大ショッピングモールに行ってみました。お目当てはそこのスーパーの豊富な筈の輸入食材コーナーで売っているであろうテンペです。太田市と言えば群馬のブラジル大泉のそばで、通訳者の求人のほぼ100%が太田市の管轄内です。当初のんびりドライブの筈でしたが、うっかり付いているカーナビシステムによりトールウェイへ放り込まれていました。
現地に着くと、食材売り場はタイ食材フェア括弧ハートマーク括弧閉じ。それを横目で見ながら発酵大豆食品のケースに近づけば、納豆の隣にテンペが置いてあり、目論見達成。国産のテンペのようでしたが、それもまたよし。やはり納豆の横に普通に、とう図式は正しいのだ。他にめぼしいものはないかと物色するも、五年ほど前に見た時より、明らかに輸入食材は減っています。これはやはり震災の影響による外国人の激減に起因するものなのでしょうか。それでもセイロン・ティーにジャワ茶葉が混入されているという茶をゲットできたので、まあよし。タイ食材コーナーでパック入りののトムヤムクンと、お惣菜のソムタム、パッタイをゲット。お惣菜の方はあまりぱっとしない感じでしたが、パクチーが効いていることによる幸せ感は絶品でした。テンペの一部は明日素揚げになる予定。

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スカル・エレッド・バドゥン(バリ音楽)

以前の記事でプリアタンとプンゴセカンのSekar Eledを例にとりましたが、BadungのSekar Eledも。3つの中では一番練習曲に適しているかもしれません。

*e---eueua-ueoio-eue
o---ioeoiaiau-euaia
u---uaueuai-aiua
i---oeoiauai-oueo
i---aiuai
**o-eueo-iai
o-eueo-iai
oeoia--iaioiauaue-
uai-aiua
i---aiuaio-eueuaue*

アステリスクのところでループ。
ダブルアステリスクのところから始めると前奏になります。



こんな感じの曲ですが、チューニングの違うスリンを使うとこんなになります。



日本人の耳には短音階に聴こえて混乱するかもしれませんが、バリ的には先のものと音階もトゥカップも同じです。実はこの曲、Ngurah Rai空港でずっとなっている音楽の一曲に入っています。シンプルに吹くとこんな感じです。



聴き覚えのある感じではないでしょうか。カセットはTirta Sariのスマルプグリンガンで、Sekar Mas, Sinom, Tabuh Gariなど、ポピュラーなタブのナンバーの入っているものです。入手してみてはいかがでしょうか。

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ここにこの図版が適切かどうかは別として、画像はYama Sariです。

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